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12月, 2018の投稿を表示しています
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アカシア句集 9  前へ    次へ チューリップ咲く植ゑし人逝きたるに   平成19年2007・4月小学校、高校の同級生が67歳の若さで急死、葬儀に参列できなかったので、   後日柏市のご自宅にお参りした。帰るとき軒に赤いチューリップが10本以上咲いていた。   駅まで送ってくれたご長男によると彼女が植えたときは咲いていなかったとのことだった。 あの頃は良かったとある賀状受く   平成22年2010・正月現役時代の同僚からの賀状に、あの頃は良かったですね、とあった。同感。   終身雇用が守られ、やや家族的な雰囲気で力を合わせて仕事ができた時代が遠くなるのかも。          子を三人たてに並ばせ初写真   平成22年2010・正月近くの長弓寺に初詣した。孫たち3人が、8才6才3才と身長も違ったので、   3人を縦にならべて初写真を撮った。 斑鳩の星空澄みて鬼やらひ   平成22年2010・2月法隆寺西円堂での追儺式に参列、八角堂を囲んだ金網の中で、鬼達がいじめられ   追われた。時々松明が飛んで来る金網の上は、星空が澄んでいた。 啓蟄やかたりと進む花時計   平成22年2010・3月京都精華町のけいはんな花空間(現在:京都府大精華キャンパス)を訪ねた。   入り口に大きな花時計があって、見ていると1分毎にカタリと音を立てて針が動いた。   1分毎に春が近づくような気がした。 閼伽井屋の提灯暗しお水取   平成22年2010・3月12日奈良・二月堂のお水取りの夜に参列、この深夜、二月堂の下の閼伽井屋に   僧侶が入り、若狭から送られるという水を、中の井戸から汲み上げる儀式。二月堂からの行き帰りの   行列も明かりは松明だけで、汲み上げるときは暗い提灯だけだった。   みな笑顔桜並木に逢ふ人は   平成22年2010・4月奈良・大渕池から山陵町あたりまで秋篠川の桜並木を歩いた。   桜が満開で天気も最高だったので、すれ違う人達は皆笑顔だった。 廃線のランプ小屋にも若葉風   平成22年2010・6月奈良・大仏鉄道跡を訪ねた。鉄道は明治31年から40年まで開業していた   奈良・大仏駅から加茂駅までの鉄道跡で、駅跡公園とトンネル跡しか残っていないが、   昔石油を保管した煉瓦作りのラン
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アカシア句集 8  前へ    次へ 雲雀鳴き止めば大和は静かなり   平成15年2003・3月奈良・富雄川・砂茶屋の南を歩いていたら西側の田園の空で雲雀が続け様に   鳴いていた。しばらくすると鳴きやみ、あたりが急に静かになり大和盆地全部が静寂に包まれた。 歌姫の土塁の跡よ囀れり   平成16年2004・3月奈良・平城京の北の歌姫町を訪ねた。ここは奈良時代皇室の禁苑があった所で   土塁で囲まれ、田園のほか歌姫と呼ばれた踊りや雅楽を奏する女性たちと警護兵らがすんだらしい。   今は土塁の一部しか残らないが、訪ねると木立に賑やかに小鳥たちが歌っていた。 八つまで叩きて止みし鉦叩   平成16年2004・9月家の庭に夜鉦叩が鳴いた。注意しないと聞き逃すほどの小さい音でチン、チンと   8つまで叩いて止んだ。 次に叩くまで相当時間があった。 おももちは子雀の声聞きおはす   平成17年2005・6月奈良・唐招提寺の開山忌に参列した。   今は鑑真和上像はその身代わり像が安置されて年中公開されるが、この頃は開山忌期間中のみ、実物が   公開された。開山堂でお像を拝すると、目をつぶって子雀らの声を聞いておられる面持ちだった。 蚊遣にと祖母焚きくれし松小枝   平成18年2006・7月蚊取り線香を出す時期となった。線香を見て、昔子供の頃、夏休みに母の里の   梨園の山の家で、祖母が蚊取り線香の代わりに、松の小枝を土間で燻べてくれたのを思い出した。 ひかりのみ見えしは秋の水馬   平成19年2007・9月いつものメンバーで奈良東吉野村・天好園を訪ねた。庭園の奥に小川があり、   流れの中にキラキラ光るものが見えた。よく見ると水馬(アメンボウ)だった。 公家谷の水美しく烏瓜   平成19年2007・11月京田辺市・普賢寺地区を歩いた。関白近衛基通公が隠居された公家谷があるが、   その谷のきれいな水の上に、赤い烏瓜が掛かっていた。 神還る声をうをうと星冴えて   平成19年2007・12月17日奈良・おんまつりの夜、御旅所祭に参列した。さまざまな芸能奉納のあと、   深夜神が春日神社若宮へ帰られるときは、大勢の白衣の神官に囲まれて白い布に包まれ、   神官たちの「おうおう」という重々しい声に守られてゆっくり帰られ
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アカシア句集 7  前へ    次へ 鳰浮くを百まで数え待ちにけり   平成5年1993・11月近くの奈良・大渕池を歩いた。冬になると水鳥が多く来るが、この日は鳰だけが、   2,3羽潜ったり泳いだりしていた。1羽が潜ったあと百まで数えたが出てこない。   あわれ水に溺れたのかと思ったが、おそらくここから見えない所に浮き出たのだろう。 翡翠のくわへし魚を振り打てり   平成6年1994・3月奈良・富雄駅近くの富雄川を歩いていたら、青い翡翠(かわせみ)が石に止まり、   咥えてきた魚を石に振りつけた。あっという間の出来事だった。   藤棚を小舟に乗りて剪定す   平成6年1994・9月東京・港区の愛宕山は会社に近かったのでよく登った。夏も終わったがまだ暑く、   愛宕神社の木々は茂っていた。小さな池の上に掛かる藤棚の藤は小舟に乗って剪定していた。 化石洗ふ水の冷たき夏山に   平成8年1996・7月会社の同僚に誘われ、川崎市・生田緑地での化石採集会に参加した。   小さな有孔虫などの化石だが、土にまみれていたで緑地の中の蛇口の冷たい水で洗った。   この年2月は登戸近くの多摩川二ヶ領堰工事で流れを止めたので化石採集会があり参加した。 要塞の跡に船寄せ眼張釣る   平成10年1998・3月会社の釣りクラブで金沢八景に海釣りに行った。   釣り船一ノ瀬丸は横須賀の猿島要塞跡の海に船をつけたので、人に分けるほどメバルが沢山釣れた。   同年7月号の運河では茨木先生の真味求心に取り上げていただいた。 大仏殿黒々見えて蛍かな   平成12年2000・6月奈良・東大寺の大仏蛍を見に行った。   大湯屋のそばの小川からは蛍より暗い二月堂の灯が見えて、右手には大仏殿が黒々と見えた。 水掛祭ビルマの美女の水を受く   平成13年2001・4月退職後、海外協力事業でビルマ(ミャンマー)の統計局のコンピュータ・   システムの調査・提案で1ヶ月ヤンゴンに滞在した折、水掛祭に誘われた。   市内の道では車の上から若い男性や美女が周囲の我々に水を掛けて回った。 鮴泳ぐ時くっきりと底に影   平成13年2001・7月奈良・吉野川の鮎釣りを見た後、東吉野村の中井渓谷自然塾を訪ねた。   夏休み中で子供たちが20人
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アカシア句集 6  前へ    次へ はしゃぐ子をとらえて祭の法被着す   昭和51年1976・10月近くの蔵之宮の秋祭りで子供たちもお神輿の行列に参加した。長男4歳は喜んで、   法被を着せようとするとはしゃいで家中を逃げ回った。やっと捕まえて着せて参加したが、   途中で帰ろうとすると、最後まで行きたいと泣いて困らせた。 野営火は娘らのしぐさにはなやいで   昭和54年1979・7月長男が入ったボーイスカウのキャンプにデンダッドとして参加、キャンプファイアに   リーダーの女子高生らも参加して歌やダンスを指導した。キャンプファイアもおかげで華やいだ。 草むらを分けゆく子らの水遊び   昭和56年1981・6月近くの多摩川には大きな中洲ができていて、そこは子供たちの絶好の遊び場だった。   中洲の背の高い芦原を分け入って中洲の向こう岸まで行き水遊びをしていた。 夏草や水星沈む多摩の丘   昭和56年1981・6月新聞で普段見えない水星が見えると知り、夕方西の空を見たら多摩の丘陵の上に   大きな星が見えた。生まれて初めて見た水星だった。家の西側の畑の畦には早くも夏草が茂っていた。 壊されし我が家の壁に汗落とす   昭和60年1985・8月大阪へ転勤後、7年間空家だった大和高田市の家を処分し奈良へ移った。   業者が更地にするために解体中の家を見に行った。倒された白壁に汗が落ちた。   あとで気がついたが、天井裏に置いていたことを忘れていた卒業アルバムなども廃棄された。 修二会果て石焼芋の帰りゆく   昭和61年1986・3月奈良・二月堂のお水取りを見に行った。   廊を走る松明を見たあと、大勢と共に境内を帰る途中、石焼き芋の手押し車も一緒だった。   神主の言の葉紅葉よりうれし   昭和61年1986・11月16日三重・桑名市多度神社で右城暮石先生の句碑「上げ馬をあげしどよめき多度祭」   の一年祭に参加した。神主の祝詞に右城先生の名がでてきてうれしかった。   この句碑は一年前茨木和生先生が中心になって建てられた。   自動車の飾りが最後注連飾り   昭和61年1986・12月27日生家のしきたり通り、この年末も家中の6ケ所に神祀りと注連飾りをした。   台所の水神、荒神、居間、床の間、仏壇、車庫の
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アカシア句集 5   前へ    次へ 葭切や色落ちつきし朱雀門   平成19年2007・7月平城京朱雀門を訪ねた。平成10年復元が完成した頃は、朱の色も明るく   いかにも復元したという感じであったが、9年も経つと色も落ち着いてそれなりに風格が出てきた。   それを喜ぶように近くの草原で葭切が元気よく鳴いていた。 邯鄲や旅愁は母の好きし唄   平成19年2007・9月庭で邯鄲(かんたん)のやや低く落ち着いた鳴き声が聞こえた。   聞いていると昔を思い出し、母が「ふけゆく秋の夜旅の空の」という歌・旅愁が   好きだったことを思い出した。 神山に月登れりと声あがる   平成19年2007・9月奈良・三輪大社の観月会に参加した。   祈祷殿の庭から三輪山を仰いでいたが、なかなか月が出ない。    すると、誰かが「月が出た」と声を上げた。 桧皮葺濡るる如くに今日の月   平成19年2007・9月奈良・三輪大社の観月会の折、拝殿を見上げると月の光に   照らされて檜皮葺の屋根が濡れているように美しかった。   まるで月の雫が三輪の森に降ったように。 人生に待つこと多し芦の角   平成20年2008・3月奈良の西の大渕池周囲はよく歩くが、3月下旬池のなだらかな   岸辺に芦の角(若芽)がいくつも見えた。出てくるまで芦の根は待っただろうし、   伸びて若葉が出るまで日にちがかかる。人生も同様待つことが多いと思った。 眼前に長城迫り栗の花   平成20年2008・6月北京に住む長男一家に招かれて次男一家と7人で北京を訪ねた。   天安門や故宮博物館、胡同などの前に暮田峪長城を訪ねた。長城の入り口付近は   栗の花が白かった。 冬萌えのここにも池の青藻かな   平成21年2009・1月奈良・飛鳥カントリークラブの奥の池を訪ねた。   山の池は澄んでいて、底の青藻に日が差すほどで、藻さえ冬萌えをしているようだった。 砂底の影と別れて蝌蚪浮けり   平成21年2009・3月京田辺市高船の東・打田に炭焼き窯と半円の池がある。   その池にはおたまじゃくしが沢山底と水面を何度も往復していたが、   よく見ると砂底にくっきりと影を残して上昇していた。    水争いありし峠に春の雪   平成21年2009・3月雛の日に奈良・御所市
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アカシア句集 4   前へ    次へ ダム囲む山大きくて囀れり   平成16年2004・5月奈良・川上村丹生川上神社上社を訪ねた。神社は大滝ダムの南岸の高台にあるが、   そこから見えるダムは、周囲が完全に山に囲まれており、どの山からも囀りが聞こえるようだった。 筒鳥や人麻呂の妹眠る山   平成16年2004・5月奈良・天理市の竜王山に自転車で登った。途中の山道はふすま(衾)路といい   奈良時代は墓地で柿本人麻呂の妻も眠っている。人麻呂はどんな思いでこの道を登っただろうか。 ここからは落葉敷く道足弾む   平成16年2004・12月奈良・神功皇后陵を訪ねたとき、拝所までの坂道に落ち葉が敷き詰めていた。   ゆるい坂道だが落ち葉を踏むと足が軽くなった。  葛城の后の里の薊かな   平成17年2005・5月奈良・御所市葛城高宮跡を訪ねた。ここは仁徳天皇の后磐之媛の実家だった。   道路の下側・東側の遺跡は調査後埋め戻されていたが、周囲の畑の溝に水が走り、雉が鳴いて   小さな藪にはアザミが咲いていた。 白雲も山も映して植田かな   平成17年2005・6月奈良・唐招提寺を訪ねた。周囲の田はほとんど田植えが済んでいてた。   畦から見る田水には、周囲の山も白雲もきれいに映っていた。 春の野に連れて欲しげよ子牛の目        平成18年2006・3月木津川市のクローバー牧場を訪ねた。   牛小屋の奥の方には子牛が数頭いて、どの子牛も我々を恐れずに見ていた。   まるで、小屋から連れ出してと言っているようだった。  山小屋の蛇口閉ぢずよ風露草        平成18年2006・7月長男一家と5人で西穂高山荘まで登った。夜の山小屋から見た星空は美しかった。   降りる途中の山小屋近くにピンクの風露草が咲いて蛇口は水が出っぱなしだった。 顔を寄す顔の高さの梅の花   平成19年2007・2月奈良市西南の砂茶屋から追分梅林を訪ねた。   梅の花は高さがそれぞれだが、少し酔いながら顔の高さの花に顔を寄せた。 梅林を巡る缶酒尽くるまで   平成19年2007・2月追分梅林で地元の人達が運営する屋台で温かい缶酒を買った。   少しずつ飲みながら酒がなくなるまで梅林を歩いた。気分は最高だった。 金剛の時間水とて田
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アカシア句集 3  前へ    次へ 椋鳥の先頭曲がり遅れたる   平成9年1997・9月多摩川原を歩いていたら、椋鳥の500羽以上の大群が川から北の方へ飛んだが   途中で向きを下流の方へ変えた。その時先頭の鳥は曲がり遅れてしまった。   この句は1998・1月の運河で茨木先生の真味求心で取り上げていただいた。 鶏のうろつきをりぬ弓始   平成10年1998正月4日奈良・大和神社の弓始めを訪ねた。射手が矢を順次放つ緊張した場面で   境内の左の奥庭では鶏が数羽、のんきにうろついていた。 腰越は鎌倉近し山桜   平成11年1999・4月江ノ島の腰越へ海釣りに行った。帰りに車で134号線を走ると道路の左の土手に   山桜が咲いていた。腰越から鎌倉はわずか数キロなのに、昔義経は兄頼朝にここで足止めされて鎌倉に   入れず、兄に釈明もできず京へ戻ったとのこと。   目の前に斎王おはす賀茂祭   平成12年2000・5月15日京都葵祭に参列、雨のため一時行列が止まったが、再開されて我々の前に   斎王がきた。行列がしばらく止まったのでしっかり斎王を拝見でき、KBSラジオのインタビューも受けた。 百合鴎自由の女神の海に飛ぶ   平成13年2001・1月長男夫婦の住むアメリカ・シンシナテイを訪問後、夫婦でボストンからニューヨークを   訪ねた。貿易センタービル屋上から自由の女神を見たが、海を鴎が飛んでいた。   この年の9月11日同時多発テロで、我々の登ったビルは破壊された。 ゆっくりと落つる木の葉を受け取れず   平成13年2001・12月奈良・民俗博物館のある矢田公園を訪ねた。   高いクヌギの木から落ち葉がゆっくりと散っていたが、手で受け取れなかった。 夏痩せの男の守る廃寺跡   平成14年2002・8月末山添村の毛原廃寺跡を訪ねた。建物はないが礎石や庭は残っており、近くの家の主人に   聞くと、代々この寺跡を守ってきたとのこと。主人はやせていた。 皇后のお成りあるかに梅白し   平成15年2003・3月奈良・近鉄富雄駅の西の坂を鉄路に沿って登ると、白い梅が咲いていた。   梅の花の気品は美智子妃殿下のようだった。 美しき蛾の止まりをり転害門   平成15年2003・7月奈良の転害門を訪ねた。奈良で1200年
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アカシア句集 2  前へ    次へ 水馬機械の如き影落す   平成3年1991・5月東京の住居の玉堤から多摩川園へ時々歩きましたが、そこの亀甲山古墳のそばに   小さな池があり、アメンボウ(水馬)が泳いでいて底のコンクリートに機械のような影を落としていた。 マンションの窓から拍手聖歌隊   平成3年のクリスマス・イブは、住んでいた玉堤のマンションでは、クリスチャンの聖歌隊が中庭に入って、   聖歌などを歌ってくれた。歌が終わると各階の通路や窓から拍手がおこった。 楽しげな大日供会に交じりたし    平成4年1992・3月22日御所市・巨勢寺跡を訪ねた。線路に挟まれた跡には大日堂があり、   そこでは10人位の地元の主婦達が、大日供会を楽しそうにしていた。我々は旅人なので、   座に入るのは遠慮した。 油虫逃がして妻に叱らるる   平成5年9月頃、奈良の家も築10年になると油虫が住みつき、台所に出てきたのをハエ叩きで   叩こうとして逃し、妻に叱られた。反省。 破蓮のあきらめきりし姿かな    平成6年1994・12月上野公園の忍ばずの池を歩いたら破蓮がカモメの来る池面に   うなだれており、見る人もなく諦めきった様子だった。 結核棟跡に背高き姫女苑      平成7年1995・6月清瀬の国立東京病院の結核病院跡を訪ねました。ここは石田波郷がなくなる   昭和44年まで入退院を繰り返した所だが、訪ねた頃は空き地が残っており、背の高い姫女苑が   沢山咲いていた。波郷もおそらく見たでしょう。  ふるさとの護岸堅牢春の川   平成8年1996・2月叔母が急逝したため急遽故郷の吉野・下市へ帰ったが、そのとき町の川岸は   コンクリートで厳重に護岸され、子供の頃遊んだ川岸はなくなっていた。 蝌蚪泳ぐぶつかるまではまっすぐに   平成8年1996・3月世田谷区の次大夫堀公園を訪ねた。中に小さな川があり、ゆるい流れに   おたまじゃくしが沢山泳いでいた。見ているとたいていの子等は相手にぶつかるまでまっすぐ   泳いでいた。どのくらい大きくなるとぶつからなくなるのだろうか。 懸鳥の藁だんだんと締まる如   平成8年1996・12月15日奈良のおん祭りに行き、懸鳥を見た。春日の若宮にお供えするため   奈良の各地
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アカシア句集 1   次へ 句集1~5の50句は所属する運河・大和句会の150回記念合同句集(2009年8月)に掲載いただいた分です。 以下各句に簡単に注記させていただきます。 ご指導いただいた茨木和生先生ほか運河の諸先輩方にお礼申し上げます。 雛の日に雛なし父の病み給ふ   昭和52年1977頃義父が入院されたので毎年飾る雛を飾らなかった。家の中が少し緊張した空気だった。   この句は、右城暮石先生が運河主宰で朝日新聞大和俳壇の選者だった1977年、大和俳壇に投句して   先生に初めて採っていただいた句。その後まもなく運河に入会させていただいた。 夜寒の門吾子まろび来る足の音   昭和50年1975頃、奈良・高田駅からは自車で帰ったが帰宅は遅かった。   門を開けると、その音で長男4歳が玄関まで廊下を走ってくる音が聞こえた。 つくしとりはかまとりして子と過ごす   昭和61年1986頃次男12歳と近くの田の畦でつくしをとり、家ではかまをとった。   その頃はまだ家の近くに田畑が多く、土筆やたんぽぽなどが多かった。 恋猫の静かになりて眠られず   昭和61年春、近くの畑などには野良猫もいて、時々家の庭などにも来た。   夜中の猫の声がやんで、静かになったらかえって眠れなくなった。 針掛かり見事に逃げし青葉鱒   昭和61年1986夏、親戚の蓼科別荘から家族で釣りに行った。   たしかにマスが針に掛かったが、見事に逃げられた。   父子3人で5匹しか釣れなかった。 通草とり親しき山となりにけり   昭和62年1987秋奈良・飛鳥カントリークラブの南の山に池があり、その奥に通草  (あけび)を見つけて以来、この山が好きになった。 何事も起こらず小さき蜘蛛の巣に   平成元年1989秋奈良・長弓寺の境内から奥の細道を歩いたとき、そばの木に   小さな蜘蛛の巣が掛かっていた。   蝶や虫が飛んでいたのでしばらく見ていたが何事もなかった。 ワゴン車の猟犬やさしき目をしたり   平成元年12月奈良・正暦寺南の城山に登ったとき途中にワゴン車が止まっていた。   猟師の車だったが中の猟犬はやさしい目をしていた。 病院の窓よく見ゆる冬木越し   平成2年1990・1月心臓病で通っていた港区・慈恵医大に入