アカシア句集 6 前へ  次へ

はしゃぐ子をとらえて祭の法被着す
  昭和51年1976・10月近くの蔵之宮の秋祭りで子供たちもお神輿の行列に参加した。長男4歳は喜んで、
  法被を着せようとするとはしゃいで家中を逃げ回った。やっと捕まえて着せて参加したが、
  途中で帰ろうとすると、最後まで行きたいと泣いて困らせた。
野営火は娘らのしぐさにはなやいで
  昭和54年1979・7月長男が入ったボーイスカウのキャンプにデンダッドとして参加、キャンプファイアに
  リーダーの女子高生らも参加して歌やダンスを指導した。キャンプファイアもおかげで華やいだ。
草むらを分けゆく子らの水遊び
  昭和56年1981・6月近くの多摩川には大きな中洲ができていて、そこは子供たちの絶好の遊び場だった。
  中洲の背の高い芦原を分け入って中洲の向こう岸まで行き水遊びをしていた。
夏草や水星沈む多摩の丘
  昭和56年1981・6月新聞で普段見えない水星が見えると知り、夕方西の空を見たら多摩の丘陵の上に
  大きな星が見えた。生まれて初めて見た水星だった。家の西側の畑の畦には早くも夏草が茂っていた。
壊されし我が家の壁に汗落とす
  昭和60年1985・8月大阪へ転勤後、7年間空家だった大和高田市の家を処分し奈良へ移った。
  業者が更地にするために解体中の家を見に行った。倒された白壁に汗が落ちた。
  あとで気がついたが、天井裏に置いていたことを忘れていた卒業アルバムなども廃棄された。
修二会果て石焼芋の帰りゆく
  昭和61年1986・3月奈良・二月堂のお水取りを見に行った。
  廊を走る松明を見たあと、大勢と共に境内を帰る途中、石焼き芋の手押し車も一緒だった。  
神主の言の葉紅葉よりうれし
  昭和61年1986・11月16日三重・桑名市多度神社で右城暮石先生の句碑「上げ馬をあげしどよめき多度祭」
  の一年祭に参加した。神主の祝詞に右城先生の名がでてきてうれしかった。
  この句碑は一年前茨木和生先生が中心になって建てられた。  
自動車の飾りが最後注連飾り
  昭和61年1986・12月27日生家のしきたり通り、この年末も家中の6ケ所に神祀りと注連飾りをした。
  台所の水神、荒神、居間、床の間、仏壇、車庫の自動車である。(最近は2ケ所に簡略化)
  神棚用の花瓶に松と竹、それにウラジロをつけた輪締めをかけ、三宝におひねり(半紙に餅、祝昆布、
  干し柿、みかん)を置き、お神酒とろうそくを立てた。
疑似餌投ぐつくつくほうしに包まれて
  昭和62年1987・8月奈良・飛鳥カントリークラブの奥の池でブラックバス釣りをした。
  魚の好みそうな疑似餌を釣り竿を振って投げるのだが、池の周囲は法師蝉の声で包まれていた。
  2000年頃から生駒市の遊園として整備され、釣りは禁止となった。
空蝉や鬼取村といふならし
  平成4年1992・8月奈良と大阪の県境・暗峠を訪ねた。石畳の峠道のはずれには湧き水があり、雨蛙がいた。
  そばに空蝉が落ちていた。このあたりは昔鬼取村といい、役行者が生駒山の鬼を捕らえ、髪を切って
  弟子としたので、髪切山ともいう慈光寺がある。訪ねたが誰もいなかった。

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