アカシア句集 22  前へ   次へ

どの色も選びたき色櫨紅葉        

  令和2年2020年11月下旬、奈良・生駒市の鹿畑を訪ねたとき、途中の坂に大きな南京櫨(ナンキンハゼ)の木があり見事に紅葉していました。葉をよく見るとその色は黃、橙、赤、紫、黒とその中間色と、紅葉の程度は実にさまざまで、一枚ずつ手にとるとどの色も、それぞれ味わいがあり、自分はどの色が好きなのかと迷っていました。選ぶのに迷ったので、数枚持ち帰り、玄関に飾りました。

旧道はどこかなつかし冬日差 

  令和2年2020年12月初旬、京都精華町の柘榴地区を東谷神社まで歩きました。一段下の国道163号線は車が多く落ち着かない道ですが、旧道に入ると急に静かな道になりました。家並みも古く冬日差を受けた町は、どこか昭和の町に入ったようで、なつかしく感じました。

目の前に仕留められたる猪の口     

  令和2年2020年12月奈良・大和田町の棚田から大和民俗公園へ抜ける藪の道を通ると、2人の男性がそばの猪檻にかかった大きな猪を道へ引きずり、軽四輪に載せようとしていました。道に寝かされた猪は死んでいましたが、大きな口と目を開けていました。

月空を走りてゐたる去年今年       

  令和2年2020年12月大晦日の夜、庭に出て空を見上げると、冬の満月が出ており、比較的小さな雲が沢山北から南へと、すばやく流れていました。 見事な満月がその中に見えて、まるで月が雲の島々のあいだを走っているようでした。月も新しい年の空へと、宇宙の時間に遅れないよう、必死に走っているようでした。

春日浴ぶやさしき声を聞くごとく

  令和3年2021年2月下旬、京都府木津川市の西ノ宮神社から大里公園を訪ねました。公園の桜はまだ蕾でしたが、土手に坐り池などを眺め、とても暖かな春日差を浴びていると優しかった叔母たちの声が空から聞こえてくるようでした。   

とめどなく花散る下に立ちゐたり 

    令和3年2021年3月、近所の三段公園には大きな桜が5,6本あり今年も見事な花を咲かせてくれます。3月末公園に行くとちょうど満開の桜が散り始めました。その下に立つと風もないのにとめどなく花が散り、頭に肩にふりかかりました。それはなにかの恵みのようでした。

菖蒲湯に底板踏みし頃想ふ

    令和3年2021年5月、大きな菖蒲を二本風呂の湯に浮かべた菖蒲湯に浸かりました。毎年の行事ですが、ふと70年ほど昔の生家の五右衛門風呂を思い出しました。当時の風呂は大きな釜の湯に浸かるのですが、底も鉄なのでそのままでは熱いので、木製の丸い底板を沈めます。沈めて足で底板を回転させると、出っ張りに板がかかって浮いてこなくなるのです。そんな昔の菖蒲湯を思い出しました。

液晶に触れて動かす梅雨の雲

    令和3年2021年7月、家のテレビを見ていたら、気象予報士の女性が大きな画面にポインターの棒を触れて、梅雨の大きな雲を簡単に動かしました。明日は雨雲が近畿地方にきて梅雨らしくなるとのことでした。自分もスマホ(スマートホン)の雨雲図に触れて5分毎に動く雲を確認しました。

睡蓮は白に限ると陵の守

    令和3年2021年7月、奈良の磐之媛陵(仁徳天皇の后)を訪ねました。ちょうど睡蓮の花が咲いていました。たまたま陵の衛士らしき男性がおられて、話を聞くと、天皇や皇后の御陵に植える、睡蓮は白に限っているとのことでした。お濠の草花を採ったりする不心得な人もいるようです。  

子蜥蜴の止まりて何を考ふる

  令和3年2021年8月朝庭に出ると、庭石の陰から子蜥蜴が出てきて石に登り、しばらく止まりました。石の上で、どこへ行こうか、餌を探そうかなどと、何かを考えているようでした。言葉が通じれば、何を考えているの、と聞きたい気がしました。 

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