アカシア句集 25  前へ   次へ

二三歩でこれ程付くか草虱        

  令和5年2023年10月下旬、奈良・生駒市の竹林園近くの池を訪ねました。
  池の岸を少し歩いただけなのに、ズボンには前も後も盗人萩の実(草虱)がぎっしり
  ついてしまいました。岸に座りこんで  ひとつづつとるしかありませんでした。

目つむりて歩き方たくなる小春日よ

  令和5年2023年11月初旬、奈良生駒市の鹿畑の峠道を歩きました。
  暖かい小春日、すれ違う人もいないので、しばらく目をつむって歩くと、
  心地よい風もきて全身峠の景色に溶け込んで いるようでした。

零余子取る零余子飯には足らねども

  令和5年2023年11月下旬、大和郡山市矢田山中の東明寺を訪ねました。
  曲がりくねった坂道の途中に山芋の蔓が垂れ下がり、零余子(むかご)がいくつか
  見えました。手を伸ばしてたまたま持っていた袋に入れました。
  夫婦二人分には到底足りなかったのですが、天地の恵みと大事に持ち帰りました。

日待講の提灯掛かる三日かな

  令和6年2024年1月3日奈良生駒市の高山地区を歩いていたら、通りからある集落へ
  入る角に「日待講」と書いた提灯が高棹に掛かっていました。
  時々庚申講の掲示板などは見ますが日待講は初めてで少し驚きでした。
  運河の谷口主宰のお話では、近隣の人々が決めた日に集まって一晩中話などして
  翌朝日の出を拝むようです。

旧遊郭三帖部屋に雛飾る

  令和6年2024年3月3日大和郡山市のひな祭りの川本邸を訪ねました。
  旧遊廓なのでほぼ中央に大きな階段がありすべての段にぎっしり雛人形が飾られて
  います。二階の小部屋にはそれぞれひな壇などが飾られていました。
  昔遊廓の女達が住んだのしょうが今は綺麗な人形たちの部屋です。
  女達は自分達の部屋が将来、雛飾りの部屋になるとは思っても見なかったでしょう。

晩年の生き方なるや花筏

  令和6年2024年4月12日奈良富雄川沿いの弁天堂跡の土手を訪ねて
  流れ行く桜の花びら(花筏)を見ました。花びらはそれぞれ自由なようですが、
  実は水の流れ、岩やほかの花びらによって自在に流れが変わります。
  桜の枝でがんばった花びらも、今は肩肘を張らずに流されて行くのが良いと言って
  いるようです。

何運ぶと問へど答えず蟻過ぎし

令和6年2024年5月木津川祝園(ほうその)ポンプ場南の水門の出口の砂場で休んでいたら、目の前を蟻が一匹、3ミリほどの大きさの白いものを運んでいました。何かわからないものなので、独り言のように何を運ぶの?と聞きましたが、蟻は黙って右の方へ通り過ぎました。

薪能京の名所を謡ひ上ぐ

令和6年2024年5月17日奈良興福寺の薪能を参観しました。今年のNHK大河ドラマ「光る君へ」に因んで源氏物語の源氏のモデルとされている「源融(みなもとのとおる)」が主人公の能も出演されました。源融は紫式部より100年ほど前の嵯峨天皇の皇子ですが、皇族をはなれ左大臣として自邸に陸奥の塩釜を模した庭園を作ったようです。能では庭跡を訪ねた旅の僧に、汐汲みの老人が、庭の由来とともに京の名所を教えていました。

洛南の杜の小さき茅の輪かな

令和6年2024年7月京都府精華町の東畑神社をたずねました。比較的広い森の中の神社ですが、石段上に小さな茅の輪がありました。誰もいませんでしたが、神社も、茅の輪も大切にされているようでした。

ラジオ聞きし記憶は今も終戦日

令和6年2024年8月15日終戦記念日、矢田公園の近くの行者滝の下で坐っていたら、昔のことを思い出しました。昭和20年1945年8月15日昼前大事な放送があると聞いて、家族8人が中庭の泉水の北側の柱にあった3球ラジオの前に集まりました。放送は天皇陛下のお声で終戦の玉音放送でしたが、雑音が多くはっきりとは聞こえず、まだ5歳だったので、聞こえても意味はわからず、あとで祖父から戦争が終わったと聞きました。 

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